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はーとふるぼっこ

原因不明の症状で職を転々としてます。必死さはもう既になく、なんとなくで生きている。そんな私の独り言

親の死を理解出来ないまま写真と共に

私は両親と姉と4人家族だった
多分仲は良かった

母親とは病院にいるものだった
ガンだった

母親は入院中とっても元気で明るかった 一緒にスイーツ食べて、動物の可愛いコップを貰って帰ったんだ
とってもとっても楽しかった

誕生日には小さくて可愛いビーズで出来たミニバッグみたいなものを貰った
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私が親に最初で最後に祝ってもらた日であり、親にもらった最初で最後の誕生日プレゼントだった

夏もそろそろ終わろうという時、いつものように病院へ行くと、外で遊んでるよう言われたんだ
暫くして病室へ向かった

病室に入ったら寝たままのお母さん
手を握ったらとても温かかったんだ

お葬式の日、私は一切泣かなかった
棺の傍に一人で連れてこられた時、私は無意識に腕を掻き毟り、白い棺に血が付いた
それはもう怒られて、たくさん泣いた

5歳で母親を亡くしてから、家族は崩壊した
「あなたがまだ小さくて心配だから入院しなかった」
「入院を受け入れないから、手遅れになって」

あんたのせいで死んだ
そう聞こえた

姉は一緒に遊んでくれなくなった
話してすらしてくれなくなった

姉の叫び声が聞こえた
父親が姉の頭を掴んで床に打ち付けていた
恐怖で涙があふれ続けた

「死んじゃう助けなきゃ」
そう思って震えながら祖母に電話しようとした時、頭をよぎった

「伝えたら次は私、殺される」

私は電話することが出来なかった
祖母が後に保護していったので大丈夫だった

恐怖しかない私に、母親は笑いかけていた
小学生に入ってからいじめられるようになって、預けられた祖母宅でもいじめられて、居場所が無かった
そんな私にお母さんは笑いかけていた

いつも学校から帰るとお母さんと2人きり
いつも明るいんだ!
似顔絵作れるサイトがあったから、母の日には似顔絵をネットで作ってみた
もちろんプレゼントした
毎日毎日泣いて帰っても、いつも笑って迎えてくれた

2人きりの大好きな空間だった

私は少しずつ限界にむかっていき、母親を見るなり涙があふれた
「助けて…助けてよ…お母さん……」

ハッとした

返事が返ってこないんだ
いつも写真の中で同じ笑顔をしてる

ああ、お母さんはもう喋らないし会えないんだ
5年ほど経って、初めて母親は死んだのだと自覚した
その日はひたすら泣いた
ずっとずっと泣き続けた
写真の中の優しく笑う母親の前で

私はネットに逃げた
ネットの友達といつも話していた

私はいらない子なのだと理解した
死んでも悲しんでくれないのだと理解した

チャットで家族の話をされると過呼吸を起こすようになった
もちろん独りだから、必死に耐えた

私の味方は、唯一の味方は
写真の中で微笑む温もりなんてないぺらぺらの母親だけだったんだ

あのまま、気づかなければ
少しは幸せだったのかもしれない

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